ヨーロッパ周遊鉄道旅も5都市目に入ります。今回ご紹介するのはドイツの首都『ベルリン』です!
ドイツの首都であるベルリンはドイツ最大の都市であり、ヨーロッパでもロンドンについて第二の規模を誇ります。
冷戦時代に東西ドイツを分断していた「ベルリンの壁」の他、18世紀に建てられた「ブランデンブルク門」などが有名ですね。
今回はそんなベルリンの旅行記をハイライトでお伝えします!
今もなお残る冷戦の象徴「ベルリンの壁」
前回訪れた同じくドイツのケルンからベルリンまでは高速列車のICEで約4時間半の道のりでした。ドイツではユーレイルパスがあれば高速鉄道も乗り放題なのが嬉しいです。
ベルリンでまずご紹介したいのは、やはり『ベルリンの壁』です。
1961年から1989年にかけてベルリンを分断していた壁で、東西冷戦の象徴として存在していました。そのベルリンの壁の一部を今もベルリンで実際に見ることができます。
ベルリンの壁の歴史
1945年から1989年まで続いた冷戦は、現在のロシアにあたるソビエト連邦(ソ連)をはじめとする共産主義の「東側」と、アメリカをはじめとする「西側」の間で続いた対立でした。
第二次世界大戦で敗戦国となったドイツはアメリカ、イギリス、フランス、ソ連に占領されます。
その後、ソ連とアメリカが冷戦状態になると、ソ連の占領地域に建国された東ドイツと、アメリカ、イギリス、フランスの占領地域に建国された西ドイツに分断されます。
東ドイツの中にあったベルリンですが、ベルリン自体もドイツと同じく4ヶ国によって分割統治されていた為、東西ドイツの建国後は東ドイツの中にありながら東ベルリンと西ベルリンに分断されることになります。
東西に分裂したベルリンでしたが、東ドイツの社会主義体制に不満を持ち、西ドイツへ亡命する人が次々と現れます。
1949年に東西ドイツが分裂してから1961ベルリンの壁が建設されるまでに270万人以上の人が東ドイツから西ドイツへ流出したと言われています。
優秀な人材や労働力の流出を懸念した東ドイツは、西ベルリンを東ベルリンおよび東ドイツから囲むような形で壁を建設しました。
東ベルリンから西ベルリンへの移動は厳しく制限され、この状態は冷戦が終結し、1989年にベルリンの壁が取り壊されるまで続きました。
当時の様子を語る「ポツダム広場」の壁
ベルリンの壁は、冷戦が終わると共にそのほとんどが解体されました。一方、冷戦時代の様子を伝える象徴的な存在としてその一部は今も残されています。
上の写真はベルリンの中心地にある「ポツダム広場」に残されているベルリンの壁。ポツダム広場は現在、企業のビルやホテルなどの大きな建物が集まるエリアです。
かつても多くの市民で賑わう広場でしたが、広場を分断する形でベルリンの壁が作られました。
ポツダム広場の壁は当時の様子を伝えるパネルと共に展示されています。人通りの多い場所ということもあって、たくさんの人が足を止めていました。
国鉄や地下鉄のポツダム広場駅を出てすぐの場所にあり、とてもアクセスが良いので、気軽に立ち寄れるのでオススメです。
1.3kmにわたる「イーストサイド・ギャラリー」
ベルリンの壁が最も広範囲にわたって残されているのが、ベルリンの「イーストサイド・ギャラリー」。
オストバーンホフ駅から徒歩1分ほどの場所にあり、約1.3kmにわたって、ベルリンの壁が残されています。
イーストサイド・ギャラリーに残されているベルリンの壁には、国内外のアーティストによるアートが描かれています。その多くは冷戦時代の状況を伝えるものや、平和へのメッセージが描かれたものです。
有名なものではドミトリー・ヴルーベリによって描かれた「神よ、この死に至る愛の中で我を生き延びさせ給え」という作品があります。
ソ連のブレジネフ書記長と東ドイツの指導者であったホーネッカーがキスをしている様子を描いたもので、「兄弟のキス」と呼ばれることもあります。
その他にもメッセージ性の強い作品が多数あり、ギャラリーという名の通り美術館のようなアート作品の展示場としても楽しむことができます。
ドイツの凱旋門「ブランデンブルク門」
次にご紹介するのは、ベルリンの壁と並んでベルリンのシンボルにもなっている「ブランデンブルク門」です。
18世紀に作られたブランデンブルク門は、元々ベルリンに出入りする荷物の税金を徴収する為の関税門でした。
ヴィルヘルム2世の命によってアテネのアクロポリスにあるプロピュライア※を模して作られています。約26mの門の上には、4頭の馬に引かれる馬車に乗った勝利の女神ヴィクトリアの像が置かれています。
※参考記事:『アクロポリス』前編。プロピュライア〜エレクティオン
こうして完成したブランデンブルク門でしたが、完成直後にベルリンがナポレオン軍に占領されると、ブランデンブルク門はナポレオンのパレードに使用されることになります。
さらに、門の上のヴィクトリア像は戦利品としてフランスへ持ち去られてしまいました。
その後、ナポレオン戦争でプロイセン軍がパリを占拠すると、ヴィクトリア像は再びベルリンへ持ち帰られ、ブランデンブルク門の上に戻されました。
これを期にブランデンブルク門は勝利を記念する「凱旋門」となりました。
第二次世界大戦後、冷戦に突入し、ベルリンが東西に分断されると、東西ベルリンの境界線上にあったブランデンブルク門は、東西を結ぶ門となっていました。
しかし、1961年にベルリンの壁が建設されると、ブランデンブルク門は通ることができなくなってしまいました。
ブランデンブルク門のそばには当時の歴史が描かれたプレートが設置されています。ドイツ語、英語、フランス語の3ヶ国語で書かれていました。
ベルリンのその他の見どころ
ドイツ最大の都市であるベルリンですが、都会的な一方で、歴史的な建物や緑豊かな公園がたくさんある印象を受けました。そんなベルリンのその他の見どころを一部ご紹介します!
ベルリン大聖堂
こちらはミッテ地区のシュプレー川沿いに建つ「ベルリン大聖堂」です。
元々あった教会を20世紀初頭にヴィルヘルム2世の命によって建て替えて作られました。高さは114mもあり、この辺りでも目立つ建物です。
ベルリン大聖堂の前には噴水のある芝生の広場が広がっており、夏にはたくさんの人の憩いの場となっていました。
芝生の広場を挟んだベルリン大聖堂の斜め向かいには「旧博物館」があります。
「旧」と言っても今でも博物館として公開されており、プロイセン王国の王室コレクションを中心としたコレクションが展示されています。
なぜ「旧」なのかと言うと、ドイツ語の「Altes」(英語で言うOld) を日本語に訳すと「旧」になってしまったんですが、ちょっとニュアンスが違う気がするのは僕だけでしょうか。
ベルリンテレビ塔
高さ368mの「ベルリンテレビ塔」はベルリンで最も高い建物です。地上から204mの位置には展望台があり、展望台からはベルリンが一望でき、人気の観光スポットになっています。
展望台にはフロアがゆっくりと回転する回転レストランがあり、ベルリンの景色を360°楽しみながら食事をすることができるそうです。
ベルリンのシンボル「クマ」
ベルリンを歩いていると「クマの像」をたくさん見かけました。クマはベルリンの紋章にも描かれているベルリンのシンボルで、様々な場所で観光客を迎えてくれます。
2本の後ろ足で立ち、両手を上げているこのポーズが一般的みたいです。中には異なるポーズをしていたり、面白いペイントがされたクマもいるので、お気に入りを探してみては?
クマに関するお土産物もたくさんあるので、ベルリンに来た際はひとつ買って帰ってるのも良い思い出になるでしょう!
次回は再び国境を越えてチェコの「プラハ」を訪れます!