今回も引き続きパリの定番観光スポットのご紹介です。今回はエッフェル塔と並ぶパリのシンボル『凱旋門』(通称、エトワール凱旋門)の情報をお伝えします。
この記事ではナポレオンの命によって作られた凱旋門の歴史と、巨大な彫刻をはじめとした凱旋門の見どころ、そして、パリ以外にもある凱旋門をご紹介します。
また、記事の最後では展望台への行列を回避するチケットの入手方法も教えちゃいます!
凱旋門について
パリの凱旋門は、シャンゼリゼ通りの西端にあるシャルル・ド・ゴール広場にあります。
シャルル・ド・ゴール広場は、凱旋門を中心に12本の通りが放射線状に伸びており、上から見ると星の光のように見えることから、「エトワール広場(星の広場)」と呼ばれていました。
その為、パリの凱旋門は「エトワール凱旋門」と呼ばれることもあります。
凱旋門の歴史
凱旋門は、1805年に当時のフランスの皇帝ナポレオン・ボナパルトが、前年にアウステルリッツの戦いでロシア・オーストリアの連合軍に勝利したことを記念して建設を命じました。
フランス革命後の混乱期を収束させ、軍事独裁政権を気付いたナポレオンは、強大なフランス軍を率いて領地拡大を狙ってヨーロッパ諸国と対峙します。
ナポレオンの戴冠から1年後の1805年12月、イギリスなどと対仏同盟を結んでいたロシア・オーストリア連合軍は、現在のチェコにあるアウステルリッツ郊外でフランス軍に侵攻します。
数では劣るフランス軍でしたが、ナポレオンの指揮により連合軍を撃破。オーストリアはフランスと和平を結び、ロシアは自国へ撤退しました。
翌年イギリスの首相ウィリアム・ピットが急死し、対仏同盟は崩壊しました。
フランス帝国は一時ヨーロッパの大半を勢力下に置きましたが、1812年のロシア遠征失敗を期にヨーロッパでは再び対仏勢力が強まり、フランス帝国は徐々に衰退していきます。
1814年、皇帝を退位させられたナポレオンは、イタリア本土とコルシカ島の間にあるエルバ島に追放されます。
その後、ナポレオンはパリに戻って復位しますが、それからわずか3ヶ月後、ワーテルローの戦いで完敗し、ナポレオオン政権は幕を閉じます(いわゆる「百日天下」)。
凱旋門が完成したのは、ナポレオンの死から15年が経過した1836年でした。ナポレオンがこの門をくぐったのは、彼の遺体がフランスに改葬された1840年でした。
1830年、七月革命の後に王位に就いたルイ・フィリップは、凱旋門を革命軍と帝政の軍隊の栄光を称える記念建造物としました。
その後、1885年に行われたヴィクトル・ユゴー (「レ・ミゼラブル」などの作者として有名なフランスの小説家) の国葬における遺体安置所や、第一次世界大戦の勝利パレードなど、国家の重要なイベントを行う場所として使用されてきました。
凱旋門の見どころ
シャルル・ド・ゴール広場にある凱旋門は、周囲が何車線もあるラウンドアバウト (円形の交差点) に囲まれており、地上を渡って行くことは困難です (中には強引に渡って行く人もいますが…)。
その為、凱旋門へ行くにはシャンゼリゼ通りにある地下通路を通ります。チケット売り場も地下通路にあります。
地下通路を通って再び地上に出ると、そこはもう凱旋門のすぐ足元。高さ50mもある凱旋門は、間近で見るとシャンゼリゼ通りから眺めるよりも一段と大きく感じます。
凱旋門の4本の巨大な柱にある彫刻はそれぞれ「1792年 出陣(ラ・マルセイエーズ)」「1810年 勝利」「1814年 抵抗」「1815年 平和」という題がついています。
写真はシャンゼリゼ通り側の向かって右の柱にある「1792年 出陣(ラ・マルセイエーズ)」。翼を持った勝利の女神「ニケ」に導かれて出陣するフランス軍の姿を描いたフランソワ・リュードの作品です。
「1810年 勝利」はジャン=ピエール・コルトー、「1814年 抵抗」と「1815年 平和」はアントワーヌ・エテクスによって制作されました。
柱の内側にも彫刻や文字がたくさん刻まれています。この様子は凱旋門の下に入らないと見られない特権ですね。壁に刻まれた文字は、戦争で命を落とした兵士の名前のようです。
凱旋門の下には、第一次世界大戦で亡くなった「無名戦士の墓」があります。無名戦士の墓の他にもフランスの兵士を祈念したプレートが設置されています。
そして、凱旋門の見どころは屋上からの景色!…なのですが、僕が屋上に登ろうとするとセキュリティー・チェックに並ぶ人の長蛇の列が…。しかもほとんど進みません。
このまま並んでいたら、1時間後に始まるサッカーの試合に間に合わない!ということで泣く泣くあきらめて凱旋門を後にしました。もし登れていたらこんな景色が見れていた…はず。
展望台への行列を回避する方法は記事の最後に紹介します。
凱旋門は夜になるとライトアップされ、高級ブランドショップや車のヘッドライトで明るく輝くシャンゼリゼ通りの先で、格別な存在感を放っていました。
世界中の凱旋門
「凱旋門」と言うと、パリのエトワール凱旋門を真っ先に思い浮かべますが、他にも凱旋門と呼ばれる建物は世界中にたくさんあります。
「凱旋門」と言うのは戦争に勝利したことを記念して建てられた門のことで、軍隊の凱旋式が行われた場所です。
有名なものでは、イタリアのローマにある「コンスタンティヌスの凱旋門」があります。古代ローマの皇帝コンスタンティヌスがミルウィウス橋の戦いに勝利したことを記念して建てられた凱旋門です。
この凱旋門はエトワール凱旋門と同じパリにある「カルーゼル凱旋門」のモデルになっています。
同じく古代ローマの凱旋門には「アウグストゥスの凱旋門」や「セプティミウス・セウェルスの凱旋門」などがあります。
エトワール凱旋門と同じ近代の凱旋門には、ニューヨークにある「ワシントン・スクエア公園の凱旋門」や、ドイツのベルリンにある「ブランデンブルク門」(写真)があります。
>>参考記事:5都市目はベルリン!『ブランデンブルク門』と『ベルリンの壁』
アジアにも、ラオスの「アヌサーワリー・パトゥーサイ」や北朝鮮の「平壌凱旋門」、そして日本にも鹿児島県姶良市の「山田の凱旋門」などがあります。
こちらはラスベガスの有名ホテル「パリス」にある凱旋門。サイズこそ2/3ほどですが、パリのエトワール凱旋門を忠実に再現しており、エッフェル塔との2ショットが見られるのも特徴です。
凱旋門の営業時間・入場料
■凱旋門(Arc de Triomphe) | ||
営業時間 | 夏季 (4〜9月) | 10:00〜23:00 |
冬季 (10月〜3月) | 10:00〜22:30 | |
休業日 | 1/1, 5/1, 5/8(午前), 7/14(午前), 11/11(午前), 12/25 | |
入場料 | 13ユーロ | |
HP | http://www.arcdetriompheparis.com |
※2019年2月現在。最新の情報はホームページにてご確認ください。
凱旋門への行き方
エトワール凱旋門は、シャンゼリゼ通りの先の「シャルル・ド・ゴール広場 (エトワール広場)」にあります。
メトロ(地下鉄)で行く場合は、1番線、2番線または6番線で「シャルル・ド・ゴール・エトワール駅」で降ります。
RERの場合は、A線で同じく「シャルル・ド・ゴール・エトワール駅」で下車します。
凱旋門へ入場する場合は、地下通路を通って行きます。地下通路の入口は凱旋門の南東にある「シャンゼリゼ通り」沿いと、北西の「グランド・アルメ通り」沿いにあります。
展望台への行列を回避するチケット
凱旋門の展望台へ登るはセキュリティーチェックを受ける必要があります。その後、284段の螺旋階段を登って行くことになります (高齢者や車椅子の方などはエレベーターを使用することもできます)。
僕が訪れた際もそうでしたが、セキュリティーチェックを待つ人で長蛇の列ができることがよくあります。しかもなかなか進みません…。
しかし、この行列を回避する方法があります!
それは、展望台への優先入場ができるチケットを事前に購入しておく方法です。入場する日時指定をしておけば、行列のない優先レーンから展望台へ行くことができます。
チケット値段も通常のチケットとあまり変わらないので、事前に購入しておくことをオススメします!
エトワール凱旋門の優先入場チケットは「楽天トラベル観光体験」のホームページから購入可能です。
次回はフランスのサッカーリーグ「リーグ1(リーグ・アン)」で近年無類の強さは誇る「パリ・サンジェルマン」の試合を観戦した様子をお伝えします!