僕が2度目のパリを訪れたのは2015年の11月から12月にかけて。それは11月13日の夜に発生したテロ事件から約2週間後のことでした。
悩んだ末に計画通りパリに行く決断をしましたが、そこで見たのは「決してテロには屈しない」という強い気持ちを持って団結したフランス国民の姿でした。
今回はそんなテロ直後のパリの様子をお伝えしたいと思います。
テロが発生したあの日
2015年11月13日、パリ市内やその郊外でイスラム過激派組織「イスラム国」による同時多発テロ事件が起こりました。コンサートが行われていた劇場「バタクラン」ではテロリストが観客に向けて銃を乱射。89名の死者が出ました。
当時サッカーのフランス代表対ドイツ代表の試合が行われており、オランド大統領も試合を観戦していたパリ郊外のサン=ドニにあるスタジアム「スタッド・ド・フランス」では、入口付近で実行犯4人による自爆テロが発生し、1人が巻き込まれて亡くなりました。
これ以外にもパリ市内の複数の飲食店やバーなどでテロリストによる発砲事件が起こり、多数の死傷者が出ました。
友人の無事を知らせてくれたのはFacebook
朝テレビをつけると、ちょうど一斉にテロ事件のニュースが報道されていました。ニュースを見た瞬間、何よりパリにいる友人が無事であることを祈りました。
パリにはイギリスに留学していた時に知り合った友人が何人も住んでおり、特に今回の旅行でもパリを案内してくれたクロエは、イギリスで同じシェア・ハウスに住んでいて、僕を「お兄ちゃん」と慕ってくれていました。
この時、友人たちの無事を知らせてくれたのは「Facebook」でした。Facebookは2014年から安否確認サービスを開始しており、災害や事件が発生した地域にいる人たちの安否が分かるようになりました。
留学時代の友人とはみんなFacebookで繋がっていたので、すぐに全員が無事であることが分かりました。この時ほどFacebookをありがたく思ったことはありませんでした。
また、Facebookではフランスへの支援を表す為、プロフィールにフランス国旗の色であるトリコロールを重ねる機能が登場しました。
TwitterをはじめとしたSNSでは「Pray for Paris」の文字と共に、パリを応援するメッセージが送られました。YouTubeはロゴをトリコロールにし、Googleはトップページに黒いリボンを描きました。
日本では「他の国でもテロは起きているのに、なぜフランスだけ特別扱いするのか」という批判もありました。何でも批判したがる人はどこにでもいますが、残念な考え方だと思いました。
日本にもフランスを訪れたことのある人は多いでしょうし、フランスの文化に興味を持っている人も多い。フランスに友人がいる人もいれば、フランスに住んでいた人もいるでしょう。
中東よりもフランスに興味や関心を持っている人が多いことは全く不思議ではないですし、何よりフランスを応援しようとしている人たちを批判する理由はないと思います。
もちろん中東で起きている事件にも目を向けて欲しい、という気持ちは理解できます。これをきっかけにテロに対する団結が世界中で広まれば良いと思います。
テロ直後のパリの様子
時間が経つにつれ、徐々に事件の全容が分かってきました。死者100人以上、負傷者300人以上という、多くの犠牲が出たことも。
これまでテロ事件に無関心だった訳ではありませんが、自分の友人が巻き込まれていた可能性を考えると、これまでないほどテロに対する怒りが込み上げてきました。
当然、パリそしてフランスに住む人々の怒りはそれ以上だったでしょう。
同じ2015年の1月にはパリの新聞社「シャルリー・エブド」がイスラム過激派のテロリストに襲撃される事件が発生していたこともあり、フランス国民はテロリズムに対する声を上げます。
事件の後、オランド大統領は非常事態宣言を出し、政府は不要不急の外出を控えるように呼びかけました。しかし、パリの広場には多くの人が集まり、犠牲者を追悼すると共に、決してテロリズムに屈しない姿勢を示しました。
旅行をキャンセルすべきか、行くべきか
僕は数ヶ月前にフランス旅行を決め、仕事の休みも取っていましたが、さすがに事件直後は「キャンセルするしかないか」という思いでした。
自分の身の危険もそうですが、自分に何かあった時に迷惑をかける訳にはいかないと思いました。
事件の後、すぐにクロエと連絡を取りました。幸いすぐに無事であることが確認できました。
事件から数日後の時点では、ルーブル美術館やエッフェル塔、ヴェルサイユ宮殿など市内および近郊の施設は全て閉館になっているとのことでした。
しかし、事件から10日ほど経つと、状況は随分変わっていました。観光施設は概ね営業を再開し、人々は普通の生活を取り戻しているとのこと。
パリのクリスマスマーケットも例年通り行われることになり、11月30日からは各国の首脳をはじめとした要人が集まるCOP21(第21回気候変動枠組条約締結国際会議)も予定通り開催が決まりました。
もちろん不安は抱えたままだとは思いますが、普通の生活を続けることが「決してテロには屈しない」というメッセージになる、と考えている人が多いということでした。
セキュリティーも強化され、クロエ自身も普通の生活を送っているそうで、今回主に行く予定だった郊外の観光地はまず安全だろうとのことでした。
僕は、予定通りフランスへ行くことを決めました。テロ直後のパリへ行くことについては批判的な意見もあるかもしれません。
しかし、フランスの人がテロには屈しないというメッセージを発信しようとしていることを聞き、観光客がパリを訪れることも同様ではないかと思いました。
年間8,000万人以上が訪れるフランスですが、この時ばかりは日本からのツアーも中止やキャンセルが相次いでいました。
観光産業が大きな収入源となっているフランスでは、外国からの観光客が減少することは大きな痛手になるでしょうし、それこそテロリストの思う壺でしょう。
自分が観光客としてフランスを訪れることが、ごく僅かであってもフランスの力になれるのではないかと考えました。
1人では何も変わらないかもしれませんが、一人ひとりが行動を起こすことで集団の力になるのだと思います。もちろん、ある程度の安全が確保されているという前提の上でですが。そして、クロエのことも心配でした。
当時のパリで見たフランス国民の強さ
11月末、フランスに着くとパリの街は以前訪れた時と何も変わらないように見えました。クロエが言っていた通り、人々は普段通りの生活を送り、多くの人で賑わっていました。
しかし、様々なところでセキュリティーが強化されているのを感じました。COP21の開催期間だったこともあるでしょう。
パリ市内の観光地近くでは、自動小銃を持った警備の人がたくさんいて、どこに入るにも荷物のチェックやボディーチェックを受けなければなりませんでした。
一方で、パリにいる間、危険を感じるようなことは全くありませんでした。
そしてもう一つ、あらゆるところにフランス国旗が掲げられていました。クロエによると、テロの後、団結を示すためにフランス国旗を掲げようという動きがパリ中で広まったそうです。
アパルトマンの窓にも多くのフランス国旗が掲げられていました。
100年以上の歴史を持つパリの有名デパート「ギャラリー・ラファイエット」。建物を彩るイルミネーションがトリコロール(3色)のフランス国旗の色になっていました。
ギャラリー・ラファイエットでも入口でセキュリティーチェックが行われていました。
プレフェクチュール・ド・ポリス(パリ警視庁)。ノートルダム大聖堂や、サント・シャペルのあるシテ島にあるパリ警視庁も青・白・赤の3色のライトで照らされて、浮かび上がっていました。
エトワール凱旋門の近くにある、シャンゼリゼ通り沿いの「ピュブリシス」という複合施設。たくさんのLEDでフランス国旗の模様にライトアップされていました。
以前ご紹介したパリの人気サッカーチーム、パリ・サンジェルマンのホームスタジアム「パルク・デ・プランス」。
所属選手が描かれたエントランスの壁がフランス国旗の色にライトアップされていました。
テロの後、はじめての開催されたこの日の試合では全ての観客席にフランス国旗が配られ、試合前のセレモニーや試合中には、サポーターがたくさんのフランス国旗を振って選手を、そしてパリを応援していました。
こういった動きはパリだけでなく、世界各国にも広がり、オーストラリアのオペラハウスや、ドイツのブランデンブルグ門、イギリスのロンドン・アイ、ブラジルのコルコバードのキリスト像、そして日本でも東京スカイツリーがフランス国旗の柄にライトアップされました。
実際にパリに行ってみて感じたのは、パリそしてフランスの人たちの強さでした。あれほど衝撃的な事件があった後、こうして団結し、テロには屈しないというメッセージを発信しようとしている姿に感動しました。
そして、もう二度とこのような事件は起きて欲しくないと思います。