今回もはフランス西部の世界遺産『モン・サン=ミッシェル』の歴史と、修道院内部の様子をお伝えします!
サン・マロ湾に浮かぶモン・サン=ミッシェルの姿は有名ですが、意外と知られていない修道院の内部はどんなところなのでしょうか…?
参考記事:モン・サン=ミッシェルの行き方。電車・バス・車を比較
モン・サン=ミッシェルの歴史
モン・サン=ミッシェルはフランス西部にあるノルマンディー地方にあるサン・マロ湾に浮かぶ小島です。
潮の満ち引きが激しい場所にある為、干潮時には陸続きですが、満潮時には海の上に浮かぶように見える姿が有名です。
モン・サン=ミッシェルは、元々は先住民のケルト人が信仰する聖地で、「モン・トンブ(墓の山)」と呼ばれていました。
708年、モン・サン=ミッシェルの近くにあるアヴランシュの司教オベールは、夢の中で大天使ミカエル (ミシェル) から、この場所に教会を建てるようにお告げを受けます。
しかし、オベールは悪魔の悪戯だと思い、お告げを信じませんでした。
オベールは再び同じ夢を見ますが、依然信じません。我慢できなくなった大天使ミカエルは、オベールの頭に触れて再び強く命じます。
夢の中で頭を稲妻に貫かれる夢を見たオベールは、目が覚めると頭に穴が空いていることに気がつきます(!)。いや、大天使メチャクチャするじゃないですか…。
しかし、これでようやくお告げを信じたオベールは、この島に礼拝堂を作ります。これが今のモン・サン=ミッシェルの始まりと言われています。どこまで本当なのかは誰にも分かりませんが。
966年にはノルマンディー公リシャール1世が島に修道院を建てます。その後何度か増改築が行われ、13世紀にはほぼ現在の姿になりました。
1337年から1453年にフランスとイギリスの間で起きた「百年戦争」の際には、モン・サン=ミッシェルは要塞として使用されていました。
モン・サン=ミッシェルには今でもその頃に使用された大砲が残されています。
18世紀末のフランス革命の際に修道院は一度廃止され、1863年までの間は監獄として使用されていました。
「レ・ミゼラブル」で知られるフランスの作家ヴィクトル・ユゴーの紹介をきっかけにナポレオン3世によって1865年から再び修道院が復活しました。
中世以降には、カトリックの聖地として多くの巡礼者が訪れました。
しかし、満ち引きの激しいモン・サン=ミッシェルでは、満潮時には短時間で周囲を海に沈める猛烈な勢いの潮によって、たくさんの巡礼者が命を落としたと言われています。
1887年に対岸と地続きの道路が作られ、満潮時にも島へ渡れるようになりました。
しかし、潮の流れをせき止める結果となり、干潟には100年で2mもの土砂が堆積してしまいました。
その結果、周囲の急速な陸地化が進んでしまいます。かつての姿を取り戻すため、2009年には陸続きの道路が取り壊され、2014年には「パセレル橋」が完成しました。
修道院内部の見どころ
レストランやホテルが並ぶ「グラン・リュ」と呼ばれる通りを抜けて、修道院へ向かいます。修道院の入口までは、石造りの階段を何段も登っていきます。
修道院の大部分はゴシック様式ですが、ロマネスク様式をはじめ、様々な様式が混ざった造りになっています。それでは、修道院の見どころを順番にご紹介していきます。
哨兵の門
修道院に着いて、まず最初に見られるのが「哨兵の門」。
モン・サン=ミッシェル修道院の入口にあたる門です。ここからさらに急な階段を登って、内部へと入っていきます。
西のテラス
入口の後にまたまた長い階段を昇った先にあるのが「西のテラス」です。
教会の正面にある高さ80mのテラスからは周囲に広がる干潟をはじめ、西にブルターニュ地方、東にはノルマンディー地方の景色を眺めることができます。
テラスからは修道院の上にある尖塔の姿がよく見えます。1897年に完成した尖塔の先端をよく見ると、大天使ミカエルの姿があるのが分かります。
小さく見えますが、ミカエル像だけで3mほどあります。2016年には修繕の為、ヘリコプターで地上に舞い降りました。
付属教会
修道院の「付属教会」は11世紀に完成し、その後何度か修復されました。
北側は12世紀のロマネスク様式、1421年の崩壊後に修復された南側は後期ゴシック建築に見られるフランボワイヤン様式となっています。
祭壇は聖地エルサレムの方角に向かって作られており、その上にあるステンドグランスからは神秘的な光が教会内に差し込んでいました。
中庭と回廊
修道院の北側にある「ラ・メルヴェイユ」と呼ばれる1897年に完成した居住スペースの最上階には、美しい中庭と回廊があります。
ラ・メルヴェイユとは「驚嘆」を表す言葉で、その装飾の美しさからこう呼ばれるようになったそうです。
この場所は修道士たちの憩いの場所であり、瞑想を行う場所でもありました。
中庭を囲う回廊には137本の白亜の柱が立っています。内側と外側で少しづつずらして建てられた柱の視覚効果によって、不思議な感覚になります。
柱の上部には彫刻が施されているのですが、全ての柱の彫刻が異なるデザインになっているそうです。
食堂
続いては、モン・サン=ミッシェルの修道士たちが食事を取った「食堂」です。アーチ状の丸型天井が特徴的で、左右には59個の小窓が並びます。
壁に沿って机が並んでおり、修道士は聖典を聞きながら壁に向かって食事をしたそうです。
迎賓の間
「迎賓の間」は、修道院長が王や貴族など高い身分の訪問者を迎えた場所で、中世における最も優雅な建築のひとつとも言われます。
部屋には大きな2つの暖炉があり、訪問者をもてなす為の鹿やイノシシ焼くのに使われたそうです。
聖マルタン礼拝堂
「聖マルタン礼拝堂」は、11世紀当時の姿を残す貴重な礼拝堂です。
ロマネスク様式のシンプルな造りで、修道院の中でもとりわけ薄暗い部屋には、小さな小窓からわずかに光が差す程度。
高さ9mのアーチ状の天井の下の空間はひっそりとしていて、神聖な雰囲気でした。
大車輪
聖マルタン礼拝堂の先にある通路には、19世紀に設置された「大車輪」があります。修道院が監獄として使用されていた頃、食料などを搬入する為に利用されました。
車輪の中に囚人6人が入り、荷車を上下させていました。間近で見るとその大きさは迫力があります。
聖エティエンヌ礼拝堂
「聖エティエンヌ礼拝堂」は死者の為に造られた礼拝堂で、祭壇の下には「生と死」を表す「A」と「Ω(オメガ)」の文字が刻まれています。
19世紀にはハンセン病患者が収容されていました。壁にはピエタ像 (十字架から降ろされたキリストを抱く聖母マリアの像) があります。
修道士の遊歩道
「修道士の遊歩道」は、修道士たちが散歩や気分転換をする為に使われたと考えられています。
11世紀のロマネスク様式と、13世紀のゴシック様式が混ざった造りとなっており、壁には岩がむき出しになったような部分もあります。
騎士の間
「騎士の間」は、元々は騎士団の総会を開く為に作られた場所でしたが、実際には修道士たちの執務室として使用されました。
読み書きを行う為、壁の上部には大きな窓が並び、そこからたくさんの光が取り込めるようになっています。また大きな暖炉 (写真左端) が備え付けられています。
部屋の中に並んだ柱には、コリント式の柱などに見られるアカンサス模様の装飾が施されています。
大天使ミカエルの像
修道院内には、所々にモン・サン=ミッシェルに教会を作るように命じたと言われる大天使ミカエルの像やそのレリーフを見ることができます。
中でも一番のインパクトを持つのが、この大きなミカエル像。尖塔にあるもののレプリカですが、こちらは間近で見られる為、とても迫力があります。
修道院内を一周し、外(裏庭)へ出てきました。所要時間は1時間ちょっと。見どころが詰まった場所でした。
意外と知られていないモン・サン=ミッシェル修道院の内部はいかがでしたでしょうか?まだ行ったことのない方も、ぜひ一度訪れてみてください!
モン・サン=ミッシェルの開館時間・入場料
■モン・サン=ミッシェル修道院 (Mont Saint-Michel Abbey) | ||
開館時間 | 9月〜4月 | 9:30〜18:00 |
5月〜8月 | 9:00〜19:00 | |
閉館日 | 1/1, 5/1, 12/25 | |
入場料 | 10ユーロ | |
HP (英語) | http://www.abbaye-mont-saint-michel.fr/en/ |
※2019年4月現在。最新の情報はホームページをご確認ください。
モン・サン=ミッシェルはパリから車で約5時間。電車の場合はTGVでレンヌまで行き、そこからバスに乗るパターンが一般的。
所要時間は約4時間です。少し遠いですが、一度は見ておく価値のある場所だと思います!
モン・サン=ミッシェルへのツアーは海外オプショナルツアーの「VELTRA」のホームページで検索してみてください!
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